高校倫理2 源流思想 ギリシア哲学2
直接民主主義&裁判の弁論は自分で行う&全盛期でしたので
議論(弁論)することが重要&人がウジャウジャ集まってくる
=弁論のプロ(そして弁論術教師の)「ソフィスト」(知者)が登場します。
黒いものを黒いというのは誰でもできる。ではなく、黒いものを白いといえるからプロなのですよ。
ということで、たんなる屁理屈の詭弁術へと進んでいきます。
屁理屈の行きつく先は当然相対主義ですから、彼らの存在論は相対論です。
さらに、他文化との交流が起こり、神話、道徳の多様性・相対性、そして一方での共通性が明らかになったり、法の頻繁な改変が行われ法の普遍性・神聖性への信頼がなくなったりでエライコッチャなわけです。結局ここでも相対主義がはびこります。
一言でまとめると、何だかんだあってギリシア人の知的関心は自然(ピュシス)から人為(ノモス)へと変化し、相対主義へと突き進みました。
その代表人物がプロタゴラス。
超売れっ子で、1度の講義で軍艦が買えるほど。
彼の主張は簡単です。そして何千年も経った今も似たようなことをドヤ顔で言う人がいますよね。
お風呂のお湯が熱い/冷たいは人それぞれ→
でも2つとも真実である→
真理とは相対的なものである→
「人間は万物の尺度」
そして、真理は人それぞれ→
じゃあ正しさとかも人それぞれ
ということで民主主義は衆愚政治となり、アテナイは堕落し戦争にも敗北して衰退していきます。
個人的にはアホな連中が「民主主義!民主主義!」と馬鹿の一つ覚えで言っているのを見ると、こういう歴史を学べよ、と思います。
さて、そんなころに出てきたのが皆大好きソクラテス。
彼の主張は簡単です。
確かに風呂の温度は相対的かもしれんが、でもお風呂の温度を決めなくちゃいけない。
つまり、真理はある!
さて、有名なデルフォイの神殿の標語に「汝自身を知れ」があります。
更に、ある時デルフォイの神託に「ソクラテス以上の知者はいない」というのがありました。
ソクラテスは自分が最強なんてありえん!と感じ、知者と話して神託が間違っていると証明する!と意気込みました。
ちなみにこれを問答法と言います。
色々な人に議論を吹っ掛けた結果、彼の出した結論は
誰も本質的なことを知らないか、限定的にしか知らないのに知者だと言っている
でも、自分は何も知らないということを知っている。だから俺は世界一賢い!!
これがあの有名な「無知の知」です。
そして、彼は言います。
ソフィストの様な相対主義ではなく「善く生きる」ことが重要であり、幸せである。と。
ここでの「善い」とは社会・道徳規範を鵜呑みにして生きることではなく、正しいことをして得られる心の平安である!
善とは、アレテー(徳)(卓越性、優秀性)
つまり、たとえば「善いはさみ」とは「優秀性・卓越性」を持ったはさみ。
すなわち、よく切れること。
では、人間のアレテーとは何か?
ソクラテスの結論は、魂が優れていること。
ならば、我々は魂をよりよくすること=「魂への配慮」に心を持ちいらねばならない!
その方法は、善とは何か知ること=知徳合一(知識と徳は同じ)
そして善や徳にかなった行動をする=知識に行動が伴わなければならない(知行合一)
そんな風に善く生きることこそが幸福=福徳一致
ということは論理的に、悪とは「正しいこと」の知識の欠如により起きる!
その手段:問答法・・・各々自らが理性によって真の知恵に達する。
・ソクラテスの死
「国家の崇敬する神々を認めず、新たな神を信じ青年を腐敗させた」
とかなんとか言いがかりをつけられて、死刑に
但し告発者はへっぽこ詩人、私怨のある者、もぐりの弁護士みたいなうさんくさい連中で告発するいわれは特になく、告発理由も曖昧。
実はペロポネソス戦争の敗因であるリーダーがソクラテスの弟子で、戦後の内戦を引き起こした連中もソクラテスの弟子。
にもかかわらずソクラテスは未だに街頭でなんかやってやがる!ということで真の告発理由は戦争責任。
弟子達による脱獄計画にも耳を貸さず「悪法も法なり」と自ら刑死。
「善く生きる」ということで真理を追求し、真理を追求しないソフィストの仮象にすぎない人間社会のみに目を向けるやり方をアイロニーの下一掃しようとした。
しかし彼は新しい原理や存在論を持ち出したのではなく、掃除しただけ。
そこから先はプラトンのお仕事。